今の日本は

いま3時、有楽町の喫茶店いるが、20代から30代の若者がタバコを吸いながら過ごしているのを見ると暇なのか。前に知人が、大和証券本店の休憩室で、勤務時間に大勢の若者がタバコを吸っているのを見て、あいつらは何をしているのかね。俺の現役のときには考えられなかったと言っていたの思い出した。2000年以降、日本メーカーは海外での生産を拡大し、好調に収益をあげている。昔田舎の農家が冬になると、都会に出稼ぎに行ったように、出稼ぎ父さんは元気で、留守家庭である日本では90年以降の投資不足により、国内の事業は活発といえない。子供である国民の仕事もなく、母である政府の税収も増えない。国民は未来に希望を失い、政府は巨額の赤字のため、思い切った政策も打ち出せないでいる。

日本の社長

最近日本の大学や研究所がだす特許を、日本の企業が発展させ、製品化してくれないそうで、日本で生まれた特許が、海外の企業に買われていこうとしている。日本の企業が、なぜ新しい技術に興味を示さないのか。その理由は、日本の1部企業は雇われ社長が多く、就任してから平均4年で利益を出すことに勢力をそそぐ。新規に立地するには国内ではなく海外に行こうとする。海外なら新技術はいらない。安定した枯れた技術の方が良いと思っている。日本の大学や研究所が出した新特許をメーカーがさらに展開していかないと、10年先の日本の技術が海外に出ていってしまう。日本国内で企業が立地できない理由は、円が高すぎるし、国内のGDPは伸びないし、少子高齢化の時代で国内の産業規模が大きくなると思えない。また労働コスト、法人税が高く、規制は厳しいというわけである。日本国内でやるよりは海外に行ったほうが良いということになる。目先の利益を追っていると、新しい産業は育たないし、産業の空洞化が起き、若者の働く場所がなくなり、ますます閉塞感が起こる。

学ぶ

今日の日経新聞に日本の世界シェアが低くなり、日本勢の薄れる存在感が掲載されていた。高度成長のころの日本はアメリカから学び、アメリカを追い越そうと努力してきた。しかしトヨタが世界一になったころからまなぶ(学ぶ)謙虚がなくなってきてた原因なのか。学ぶの語源はまねぶ(学ぶ)からきていると言う。口まねをする。真似する。模倣する。と書かれている。日本の製品は世界一になったことがマネル国がなくなって追われる立場になり、学ぶことを怠ったつけが出てきたような気がする。
ある時期にあふれるばかりの好奇心と能力に充分な糧を与えられ、思考や想像力が自由にはばたいたとき、乾いた砂が水を吸い取るように自発的に学ぶようになる。この自発的によって独学能力と思考能力を身につけ、生涯において心をゆたかにし、何処におかれても一生一人で学び続けることが身につく。昨今、小学校の時から子供を一流大学に入れるために、学習塾やさまざまなおけいごとに通わせる傾向は過熱する一方で、子供たちは幼稚園から、進学という至上目的のために生活時間の大部分を勉強のためにそそがれる。こうしたことが子供たちの自発的な好奇心や学習意欲をかえって損なうおそれがある。学校教育の目的が一流大学に入学させることにだけに力をそそぐ親たちが多いのに驚く。人生で退屈に無縁になるには学ぶ楽しみ、考える楽しみを持つことが大切である。

未熟な日本

参議院選挙が終わってから一週間になろうとしている。政局は混沌とし、管直人総理大臣の求心力がなくなっているように見える。参議院選挙で大敗したといって、総理大臣が周りにペコペコし、誤り行脚をおこなっているのを見るとなさけなくなる。政権与党が安定で政権運営を行うためには参議院過半数確保が絶対に必要である。それがなければ衆議院選挙で国民に公約した政策を実現する事が出来なくなる。参議院過半数割れした政権は連立を組むか、部分連合を目指すしかないが、いずれにしても他党の要求を受け入れざるを得ない。選挙で国民に公約した政策をストレートに実現する事が出来ず、政権に押し上げた国民の期待を裏切る事になる。これでは民主党は死にたいである。人は感情の動物で、人間の一生涯は感情の質や起伏によって、考え方や行動することまで左右される。成長にするに従って、感情は無意識のうちにはたらくようになる。感情的という言葉は、悪い意味に使われるけれども、この感情をコントロールする力さえ健在ならば、感情はゆたかで深くあるほど、人間らしさをつくりあげ、味わいのある人生を送ることができる。知能ばかりよくても、感情の足りないロボットのような人々をつくりだすだろう。成長に従い感情は感官的、生命的、心情的、精神的感情に成長する。精神的感情に行くほど肉体への密着度は薄れていく。政治にしろ世の中は感官的感情が多く未熟に感じる。

今回の参議院選挙の重み

法案は参議院で否決されると衆議院の三分の二以上の賛成がなければ成立させる事が出来ない。三分の二というのは通常あり得ない数字で、そのため参議院の決定が優先してしまう。従って参議院選挙で過半数を取った政党が衆議院過半数を得た政党よりも強くなる。与党が政権運営を行うためにはどうしても参議院過半数を得なければならない。参議院選挙が与党の死命を決することになる。三年前の参議院選挙で民主党が初めて第一党になり、自民党参議院過半数を失った事で、政権交代が現実の問題となった。そして昨年の衆議院選挙で政権交代が実現し、それからわずか10ヶ月余りで再び参議院選挙を迎え、民主党政権を審判する選挙となる。この選挙で民主党が敗れれば「ねじれ」が起きて解散選挙の可能性、つまり政権交代の可能性が出てくる。

指導者2

日本の総理大臣が鳩山さんから管直人さんにかわる。なぜも短命なのか?指導者はビジョンと理想を持ち、目標と戦略を示し、目的に向かって人をグイグイと引っ張って行く人のイメージがある。リーダー(指導者)とマネジャー(管理者)との違いはどこなのか。リーダーは計算されたリスクをを冒すことができる人で、マネジャーはリスクを回避することである。リーダーとしての原理原則とは第一は権力で、権力のない立場にいなければリーダーシップを発揮することはできないということはないが、望ましい条件である。第二に実績(成果)、その人が今までにどういう仕事をして、どういう結果を残しているかということである。他の条件が備わっていても、実績のない人ではいまひとつ納得させることはできない。第三に権威で、リーダーシープを発揮する人に、心からついていきたいと思える人で、人間的にも素晴らしく、才と徳を持っている事で、この才と徳から生まれる権威こそが、権力に頼らずに人を納得づくでの上でリードするための、基本的な重要な能力なのである。日本の総理大臣に欠けているのは三番目の権威がない。政治は芸術である。政治は人と物、金、時間が調和し、ムダ、ムリ、ムラがなく効率的で機能的にダイナミックに見渡し、どの様な日本を創造してゆくのが政治の本質でもある。美しいものを美しく感じるのは、鋭い感受性と、感動する心があるからで、感受性の鈍い人、感動する心のない人には美しいものに出会えても、その美しさもわからないし、人の痛みを感じることもできない。

指導者

指導者は何か事をなしていこうとするとき、人々に自分の考えを訴えるということがきわめて大切だと思う。国をどいう方向に進めようとしているのか、そのために国民に何を求めているのか、明確に訴えなくてはいけない。誰しも大事に出会えば、ともすれば動揺し、判断に迷う。そのとき指導者が的確な呼びかけがなされれば、国民の気持ちも一つにまとまり、難局を乗りこえていくこともできる。今の鳩山さんを見てると何をしたいのか解らない。