個性

読書好きには磯崎憲一郎氏をご存知だろう。テレビや雑誌を見ない、読まない人間には世間の流れには付いていけないので知らなかった。たまたま図書館で「世紀の発見」磯崎憲一郎という本を取り上げた。大學教授の難しい言葉で書いた本だろうと開いてみた。「いまではまったく信じがたい話だが、私たちはついこのあいだまで花は花屋で、肉は肉屋で、服は仕立屋で買う世界に住んでいた。」という文書で始まる。ショックを受けたかというと、前に「金のとれる文書」を書く技術で、わかりやすい文書は短くシンプルに書く、と書いてあってこの言葉が頭の隅に残っていた。才能があると感じた。家に帰ってどんな人だろかと、インターネットで調べると東京都立上野高等学校、早稲田大学商学部卒業。三井物産勤務の傍らで40歳を前に小説を書き始め、2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。「肝心の子供」はブッダとその息子、孫の三世代を描いた中編であり、審査員の一人であった保坂和志からは「素晴らしい身体性を持ったボルヘス」と評された。2008年の「眼と太陽」(第139回芥川賞候補)、「世紀の発見」などを経て、2009年、「終の住処」で第141回芥川賞受賞。
誰にもまねできない文書を書く芸術センスを感じる。
この数年、夜に夜空を見上げることをしなくなっている。小さいころは上を見上げれば、宝石を散りばめたような星空があった。あって当たり前が、知らずのうちにないのがあたりまえになっている。銀行へ行けばATMで現金が引き出せるのが当たり前、自分の小さいころにはこのように、コンピューターが発達していなかった。コンピューターも電気がこなければただの箱、地震災害がなどの自然災害が起きたときは、街の信号はストップし、自動車は動けず、乗っているいる人はパニックになり混乱が起こる。地下街や地下鉄もしかり、今の時代水と電気があってあたりまえで便利になれている怖さがある。