時代の波

この2,3年の秋葉原の変わりようは驚いてしまう。最初の頃は電子部品のトランジスターを買いに行き、ラジオ組み立てる部品ために出かけた。その後パソコンが出始め、自分で組み立てるための部品買いに、今は個人で商いをしていた中古パソコンのお店が撤退している。その後、飲食店に変わってしまった。昔は秋葉では食事するのに困ってしまていたが今は食べ物やとオタクの街に代わりよう。街には外国から製品が所狭しとお店で売っている。これでは中小の国内メーカーが痛手を被る。中国とかの新興国の技術力が上がって、国内のメーカーが新興国との競争で大変だろう。夜10時ごろ電車に乗ると疲れきったサラリーマンを見かける。自分たちの時代は国内のメーカーとの競争ですんだので賃金格差はそれ程なかった。今は世界との賃金格差で競争しなくてならない。益々貧富の差が広がる。
1908年9月16日に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社ゼネラルモーターズが100年続いたことはすごい事だ。その間に消えた自動車会社も在っただろう。私のいた会社も社長が35歳の時5人の社員で始めた会社で100人の規模までになったが時代の流れで最後は解散してしまった。シェイクスピアの作品を原作にしたオペラでも、過去に200以上作曲されて現在でも演奏されているのは数曲である。時代の流れと言えばトヨタ自動車豊田佐吉(とよだ さきち静岡県出身(1867年〜1930年)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年9月に開設された自動車部が起源である。織物の機会を造り続けていたら今のトヨタが在ったか解らない。何事も時代の流れを察知して行かないと倒産するか衰退してしまう。トヨタもこれから先、生き残るか解らないよ。
人生の目的は知りたいという欲求と感動である。学者が物事を探求することや哲学、心理学はその物の心理を知りたいことの探究心。また美術、音楽や料理は感動を与えること。立花隆さんは知りたいという欲求が人一倍強く、書かせると言っていた。芸術もしかり、アベマリヤの曲も色々な人が作曲しているがシューベルトとグノーの曲が感動する。料理でもお寿司は感動がある。ネタから切ってお客に出すタイミング、シャリの握りで味が変わる。おにぎりを型に入れて作ったのと、手で握ったのでは味が違う。中に空気が入らないといけないそうだ。お寿司も握り方で味が変わる。女性の板さんが少ないのは女性は男性に比べて握った手の温度が高いのでむかないと何かの本で読んだ。開店寿司では感動を味わうことは出来ない。
即席ラーメンや冷凍食品はうま味の元となる物質(グルタミン酸イノシン酸グアニル酸)を加えた加工食品である。日本では、サトウキビの廃糖蜜糖蜜から砂糖を抽出した残渣、いわゆるモラセス)を特定の条件下である種の微生物に与えて微生物にグルタミン酸を生成させ、これを回収して水酸化ナトリウムと反応させてナトリウム塩とし、調味料とする方法である。トウモロコシなどの澱粉酵母に与え、生成されたイノシン酸ナトリウム、グアニル酸ナトリウムを製品の成分とする製法もある。このような加工食品にはその他のビタミンや切り落としてどうにもならない牛、豚の肉を入れば出来上がり。栄養価は余り無いと思うし、これでは感動はないよ。